GUZZLING GUZZLING
All good children go to heaven.
過去分 04
2003.07.01
2003.06.30 黒マント
2003.06.28
2003.06.27 復讐
2003.06.26 剣豪
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「え?250ですか。うわっ失礼しました。ほんと申し訳ありません。そんな大変な方と知らずに」
「いやいや、そう仰らずに。今はシニアクラスでたまに楽しむ程度ですから」
「最初にお見かけした時点でかなりの上級の方だという事は私でもすぐ解ったのですけど、オーバー100ですかなどと失礼な事を訊いて、まったく恥ずかしい限りです」
「250といっても半分は貢献ポイントみたいなものですから、実力はあなたの見たとおり100そこそこですよ。ま、こんな事は気にしないでもっと楽しみながら続けましょう」
「ありがとうございます。そういって頂けると肩の荷が降ります。それにしても鮮やかで無駄のない動作、素晴らしい限りです」
「いいえ、動作や手付きをあまり重視しては良くありません。大事なのは出来ばえです」
「なるほど、出来ばえを追及していった結果として動作が付いてくるのですね」
「そうです。主人公は自分ではなくてあくまで皿なのです」
「勉強になります」

私が趣味の皿洗いを始めて半年になる。先月アマ検定を受けて48ポイントの判定を貰った。半年で50近い判定を貰う人はそれほどいないらしく、少し天狗に成りかかっていた。今日も近所の洗い場で賭け洗いでもしようかと思っていた矢先、この老人に出くわしたのだ。最初は丁寧なだけで特に見るべきところもない洗いだと思ったのだが、それが大間違いであることに気付くまでそれほど時間は掛からなかった。まず動作が優雅で無駄が無い、そのくせ洗い上がりが速いのだ。皿だけが早回しで動く中、老人の手だけがゆっくりと流れているかのような錯覚に捉われる。思わず隣の洗い場に入り声を掛けてしまったが、まさかこれ程の大物とは。

「少々雑なので見落とすところでしたが、あなたは中々良い筋をしていますね。いや、大変珍しいタイプです」
「いいえ、お恥ずかしい限りで。何せ自己流なもので」
「失礼ですが最近になって始めたばかりではありませんか」
「ええ、そのとおりです。流行に背を向けるのが格好良いのだと変な気取りがあったのです。半年前にふと始めるようになってから、今まで避けてきたことを後悔しています」
「実に惜しいことです。もっとお若い頃から正式に習っていれば、古伊万里を洗えるくらいの素質をお持ちなのに」

古伊万里を洗えるのは300ポイント以上と言われているので、老人の言葉は半分社交辞令だろう。それでも実力が認められたのは嬉しかった。聞けば老人は孫に会いに初めてこの町に来て時間が空いたので飛び入りでこの洗い場に来たらしい。おそらく普段はこのようなところで洗う人ではないのだろう。
「それでは、そろそろ迎えが来るので失礼致します」
「お付き合い頂きありがとうございました。大変勉強になりました」

帰り際に老人は見事な手付きで小皿を一枚洗って私にプレゼントしてくれた。いや、手付きなどまるで見えなかった。この一枚は次元が違う。これまでも確かに素晴らしい洗いだったのにそれでも実力の半分も出していなかった事が解った。私が驚きと感動で碌にお礼も言えないでいるうちに老人は洗い場を後にした。

この一枚は今からでも遅くないという老人からのメッセージだろうか、それとも単に興が乗ったので戯れにくれたのだろうか。今、この世界にもっと踏み込むべきかとても迷っている。

top2003.07.01

next黒マント
黒いマントの人達が北に向って黙々と歩いていた。年代はまちまちで、男性もいれば女性もいる。皆一様に無表情でフードつきの同じマントを被っている。マントの下の衣装は同じではないが黒系統の服を着ているようだ。だが、彼らは集団で歩いてるわけではない。何かを主張したりとか周囲に痕跡を残すわけでもなく、それぞれ勝手に同じ格好で同じ道を通って北に向っているのだ。実際彼らが2人以上固まって歩いているのを見たことはない。

最先端を歩く人が青森に到達した。意地の悪い人達はレミングのように竜飛岬から海に飛び込むことを想像していたようだが、その期待を裏切り彼はそのまま南下を始めた。本州の周囲をひたすらあるいて周ろうとしているに違いない。多くの人が何故かそう直感しただろう、私もそう思った。大衆の直感は大抵当たるもので、黒マントの集団は日本海側を通って南下しそのまま東北、北陸を通りついに山口まで到着すると今度は瀬戸内海沿いを歩き始めた。彼らは死ぬまで本州の周りをぐるぐると周るのだろう。

これも容易に予想できたことだが、九州、四国、北海道でも同様の現象が発生した。メンバーも確実に増えている。学校や職場である日突然来なくなる人が続出し始めているらしい。うちのゼミでも助手とドクターがいなくなった。隣の講座では教授がいなくなって大騒ぎになっている。

今日私の家にも黒マントが届いた。なるほど、こうやって始まるのか。不思議と今の生活に未練はない。むしろやっと参加できるという喜びの方が大きい。一生の進路がやっと決まったのだ。楽しくて仕方がない。さあ出かけることにしよう。

prevtop2003.06.30

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地面に四角い穴が開いている、一辺が3メートルくらいの正方形の穴だ。僕は穴の傍に這いつくばって中を覗き込んだ。穴の深さはどのくらいあるのか判らない。底が見えないので10メートル以上は楽にあるだろう。試しに石ころを転がしてみた。何度か壁にぶつかる音がしてたが、やがて聞こえなくなった。かなり深い10メートルなんてもんじゃないだろう。いつの間にこんな穴ができたのだろう?昨日ここを通りかかったときはこんな穴など無かった。一日でこんなに深い穴が掘れるとは思えない。仮に掘れるとしても土木機器があたりにやって来たらわかるはずだ。きっと元からあった穴が今まで塞がれていたのだろう。

穴の中をしばらく覗き込んでいるうちに僕はちょっと変な気持ちになってきた。何か生き物を落としてみたい。とりあえず落としても罪悪感の薄い生き物を落としてみよう。ちょうどネズミ捕りに一匹ドブネズミが掛かっているのを思い出し、哀れなネズミを穴の中に落としてみた。残念ながらネズミは小さいし落としてもリアクションに乏しいので僕のいけない欲望は満たされなかった。やはり大きな反応のある生き物じゃないとだめだ。ある程度大きくて可愛くなくてリアクションも期待できる生き物は無いだろうか?ここで、じゃあ人間にしようなんて言い出すほど僕は人でなしじゃない。そっかニワトリがいるじゃないか。僕は裏の家のニワトリ小屋からニワトリを一羽盗み出した。ニワトリはたくさんいるのでばれないだろう。

さすがにニワトリは楽しい。リアクションも鳴き声も大きいので長い時間落ちる音を楽しむことができた。それにしても深い穴だ。僕はあるお話を思い出して思わず空を見上げた。大丈夫何も落ちてこない。青空を見ているうちにニワトリを落とすことで少し晴れかけていた僕のどす黒い気持ちが再びよみがえってきた。もっと大きいものを落としたい。僕は牧場に行き羊を攫ってきた。ちょっと苦労したけど、僕は羊を穴の傍まで連れて来ることができた。ただ、羊を落とすとなると抵抗も大きいことが予想される。巻き添えをくわないよう体にロープを巻きつけ丈夫な柵にしっかり結んでから羊を落とすことにした。さすがに羊の抵抗は激しく落とすのに苦労したが見事に成功。やはり羊くらいの大きさになると反応も最高だ。

まだまだ欲望は満たされなかったけど、このままエスカレートすると僕は人でなしになってしまいそうなので、ここで止めることにしよう。と思い穴から立ち去ろうと言うそのとき、羊の飼い主が物凄い形相で僕に向って走って来た。大事な羊を盗まれたのだから当然だろう。謝らなければいけない、そしてちゃんと損害に対して賠償しなくては。ところが、僕が謝る前に飼い主は僕めがけて飛び掛って来きた。僕が悪いとは言え暴力で解決しようと言うのは納得できない。悪いけど僕は横に飛び退いて攻撃を避けることにした。運の悪いことに飼い主はバランスを崩し穴に向ってつんのめって行く。危ない!ここで彼を見捨てたら僕は本当の人でなしだ。助けなくては。

僕は人でなしになってしまった。羊の飼い主を助けようと手を出したところまでは良いのだけど、命綱のせいで手が届かず、今一歩のところで及ばなかったのだ。恐ろしい声を上げ飼い主は落ちて行った。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、そしてさっきの羊によろしく。僕は罪悪感で一杯になった。と同時にどす黒い気持ちがどんどんと晴れやかになって行くのに気付いた。人でなしになってしまったんだからもう正直に言おう、とてもすっきりした。生まれて初めて体験する爽快感だ。これは止められそうも無い。

次に何を落とそうか僕は悩んでいると向こうからヘルメットを被って図面を持った人たちがやって来きた。この穴の関係者に違いない。作業服を着た人が2人、背広の人が2人だ。さすがに大人4人を相手にするのは無理なのでここは大人しくしていよう。作業服を着た若い人が僕の方へ駆け寄って来る。僕は何事もなかったかのように、この穴の目的って聞いちゃ駄目ですか?あ、何か駄目っぽいですね…と軽口をたたきながら一行の様子を伺った。彼らの演技が巧いのか、それとも本当に何もまずいことはないのか解らないが、意外にもあっさりとこの穴の目的を話してくれた。10年ほど前までここの地下に石切り場があり、採算が合わなくなるまでかなりの量の良質な石を切り出していたらしい。今立っているこの場所の100メートル下にはその石切り場の廃坑があるとのことだ。廃坑と言ってもただひたすら巨大な空間になっているらしい。その巨大な空間を貯水槽として利用できないか試験を行うため、この辺りにいくつか穴が掘られているらしい。

そんなことよりも彼らは穴が開いたままになっていることの方が問題のようだ。昨日調査をした後、確かに塞いだはずなのに何故か蓋がなくなってしまったと言っている。3メートルの穴を塞ぐ蓋など簡単に持ち去ることができるわけも無い。一行は、何らかの事故か悪意ある操作で蓋が中に落とされたのであろうという結論に達した。山を少し下ったところに廃坑への入り口があるのでそちらから中に入ってみることにしますと言い残して彼らは去っていった。

彼らは廃坑の中で穴の蓋を見つけるかもしれない。それと同時にネズミとニワトリと羊とその飼い主の無残な姿を見ることになるだろう。と思いながら僕は次に落とすものを探し行くことにした。この辺には羊だけじゃなくて牛も馬もいる。彼らは喜んで受け取ってくれるだろうか。そうだ、タイヤとかバイクを落とすのも良いかもしれない。どうせ捕まるんだ、気が済むまでいろんなものを落とそう。

prevtop2003.06.28

next復讐
「お、お前は5年前私がまだ17歳で県立高校に通うしがない高校生だった頃、平凡なサラリーマンの父が同僚と上司の悪口を言いながらやけ酒を飲んでた居酒屋を爆破したナイフ使いの名手にして格闘のプロ、自称左右両翼ゲリラの黒虎こと黒木雅虎だな!」

「いかにも俺はハーバード大学に15歳で入学し天才の名をほしいままにしたものの刺激を求めて裏の世界に飛び込み今では裏世界で支配的立場を手に入れようとしているナイフ使いの名手にして格闘のプロで左右両翼ゲリラの黒虎こと黒木雅虎だ」

「貴様の歪んだ醜い野望のせいで、歴史と音楽が苦手で英語と美術が得意なしがない高校生だった俺は、平凡な商社に勤める日本ハムファンでかたせ梨乃が好きだった父親を失い、奨学金を貰いながらも駅前にある酔っ払い客が多くて弁当を従業員が毎日持ち帰る汚いコンビニでバイトをしながら、苦労して中堅どころの国立大学の文学部英米文学科を優秀な成績でこの春卒業する破目になったんだぞ!」

「それがどうした。薄汚い大衆どもが苦痛に顔を歪める姿を見たいという歪んだ欲望のためには、女の子と話すと緊張して何言ってるか解らなくなるもてない高校生やクマッターズという腐った名前の草野球チームで7番レフトのサラリーマンがどうなろうと知ったことではない。俺は今、中国最大の商工業都市上海で2001年3月26日から進めていた狡猾で汚い計画が苦労の末やっと成功したという知らせを俺の片腕とも言える優秀な部下から先週買い換えたJ-Phone改めボーダフォンの携帯で聞いたばかりで機嫌が良いんだ。黙って見逃してやるから、運行本数の少ない東豊線に乗って築5年で恥ずかしい名前のワンルームマンションに帰りな」

「そうは行くか。ブリジストン製3段変速の自転車で30分かけて県立高校に通うしがない高校生のころに、バスとJRと南北線を乗り継いで平凡な商社に通う父親が自称左右両翼ゲリラの黒虎こと黒木雅虎に殺された無念を晴らすべく、中堅どころの国立大学で18世紀の英文学を学ぶ傍ら、北陸地方の山奥にある名前を言うわけには行かないがある省庁直属のこれまた名前を言うわけには行かない機関に入り、性格の悪い40代後半のグリーンベレー上がりと称する角刈りの教官の厳しい訓練に耐え、ナイフや銃器はもちろん爆発物の扱い方のエキスパートになり、対テロリスト専門の特殊部隊のメンバーとなったのだ」

「何、すると貴様あの湾岸戦争でも影で暗躍していた、性格の悪くて角刈りが似合ってないグリーンベレー上がりの通称ガラガラ蛇こと唐木熊雄の弟子か。面白い、奴にナイフの使い方を教えたのは、週末には会員制高級テニスクラブでウィンブルドンを制したプロを相手に互角の勝負をする左右両翼ゲリラの黒虎こと黒木雅虎だ。音楽が苦手で英語と美術が得意で将棋部に半年だけ所属していたしがない高校生だったお前にこの俺が倒せるかな?」


デビュー作「静かだが知的とはお世辞にも言えない俺達は回りくどい説明が多すぎるかもしれないが、これを読んでいる君はどう思う?」が第32回講文舎坂之上田村麻呂賞を受賞した、新進気鋭の美人作家の樋口三葉虫が原作を書いている、先週から毎週金曜の午後9時から13回放送の予定で始まった「しがない高校生だった俺は平凡な商社に勤める父親の無念を晴らすべく格闘技のプロにしてナイフ使いの名手の黒虎を倒す」と言うテレビ東洋のドラマは面白いなあ。

prevtop2003.06.27

剣豪
歩行者天国の真ん中に二人の剣豪が突如として現れた。一人は道場の若い師範代といった雰囲気の知的な風貌を持ち、もう一人は在野の天才を思わせる野武士然とした初老の男だ。二人とも周囲の視線を全く意に介することなく、一礼したかと思うと剣を抜き決闘が始まった。最初は何かのイベントかと思い興味深げに二人を取り囲んでいた見物人の輪も二人の目付きや迫力に圧倒され次第に外へと広がっていった。重苦しい緊張感、焼き殺されそうな鋭い視線、やはり本当の真剣勝負は違う。あたりは静まりかえり二人の息遣いだけが聞こえていた。

決闘の雰囲気が見えなかったのか馬鹿なのかあるいはその両方であろう、見物人の輪の外から誰かが野次を飛ばした。師範代が一瞬その野次に気を取られた瞬間に野武士が師範代に斬り込んだ。師範代もわざと隙を作ったのであろう、斬りかかって来た刀をかわし野武士の脇腹を狙って水平に刀を振った。野武士は当然のようにその太刀を左脇腹で受け止め上から更に斬りつけた。無防備に見えた脇腹には防具が仕込んであったようだ。降りかかった太刀を師範代は自らの刀で防いだ。物凄い大きさの金属音が響き渡り火花が飛ぶ。

見物人はその恐ろしい勝負に惹きつけられると共に恐怖のあまり足がすくんでしまい誰一人その場から逃げることができなかった。決闘は更に続く。師範代は力を込めて野武士を跳ね飛ばした。細い体のどこにこれほどの力があるのだろうか、野武士はごろごろと5mほど後ろに転がり見物人の中に突っ込んでいった。野獣のような叫びをあげると野武士は自らを鼓舞するかのように刀を二度三度と振り回す。刀に当たった見物人が三人声も立てることなく倒れた。師範代はその隙を見逃さず野武士を突き刺すかのように直進したが、直前でかわされてそのまま見物人に向って突き進んでいった。綺麗に串刺しになった二人の見物人から刀を抜こうと師範代がもたついている間に野武士は後ろに回りこみ、低く飛び上がったかと思うと真下に向って斬りかかる。師範代は一度刀から手を離し見物人の襟首をつかみ野武士に投げつけた。

サイレンが聞こえた。誰かが通報したようだ。見物人たちはここで初めて我に返りその場から狂ったように逃げ出した。ポリカーボネートの盾で身を固め銃で武装した警官が剣豪達を取り囲んだ。二人には警官の姿や拡声器から聞こえてくる警告を無視して勝負を続けている。ついに警官隊は剣豪達の足を狙って発砲した。野武士を狙った弾は左足の太ももを貫通したが、師範代を狙った弾は逸れ二発目が撃たれる前にうずくまる野武士の首を師範代が刎ね落とした。警官隊は再度師範代の足を狙って発砲した。今度は失敗することなく師範代はその場に崩れ落ち警官隊によって捕らえられた。

師範代は警察の取調べに対して一切口を開かなかった。また師範代、野武士共に身元を示すものは何一つ身につけている筈もなく、死者九名、重軽傷者十四名を出したこの真昼の決闘の真相を知ることは誰もできなかった。テレビや雑誌では色々な人が彼らの正体を推測し、勝手な予想をしていた。「狂信的なカルト教団の信者説」「現実と仮想世界の区別が付かないゲーム型の犯罪者説」「剣の道を究めすぎておかしくなった人たち説」「催眠術で操られた人たち説」などがテレビやネットで飛び交い、中には「タイムスリップ説」「レプリカント説」を唱える人まで現れ始めた。

真昼の決闘への関心が薄れ始め、各地で中止されていた歩行者天国も再開し人々が別の事件に興味を持ち始めた頃、再び剣豪達が現れた。剣豪達の風貌は前回とは違っていたが、周囲を全く気にせずに決闘に没入する点や捉えられても口を開かない点に変わりは無かった。その後も剣豪達は次々と現れ、出現頻度は高くなり出現場所は全国へと広がっていった。政府は市民の安全を守るために剣豪達を人間と見做さないという法案を可決した。この法案により警察や民間人は剣豪に対して何をしても構わない事が保障された。

何をしても構わないと保障されたとは言え、市民が剣豪より強くなった訳ではない。それでも人々は気が大きくなり集団で剣豪を退治するしようという機運が高まり始めた。最初は敵討ちのためや自分の家族を守るためといった動機が強かったが、そのうち命がけのゲームとして剣豪を倒そうという人が増え始めた。剣豪を退治する事は法律で許可されているが、街中で猟銃や刀剣を使うのはもちろん処罰の対象となるため、剣豪を退治する際はもっぱら集団で丈夫な盾やネットを使って剣豪を取り囲み体の自由を奪ってから棒で殴り倒すという方法が取られた。真剣を持った剣豪達の強さは桁違いだが彼らは自分達の勝負以外は眼中にないため、勝負をじっくりと見て隙を突けば一般人でも剣豪達を捕らえることは不可能ではなかった。

剣豪退治は次第に剣豪狩りと呼ばれ、今ではスポーツとして定着している。安全に捕らえる方法が確立したため出現と同時に眠らせて刀を安全なものに取り替えて決闘させることが可能になり、ジュニアの愛好者も増えている。また海外からも競技を楽しもうと来日する人も多く立派な観光資源となっている。昨年より無傷のまま生け捕りにした剣豪を眠らせて海外に輸出することが認められ、輸出資源としての利用方法にも注目され始めた。海外では剣豪狩りだけではなくコロッセウムで戦わせて勝敗を予想する剣豪トトカルチョも行われている。

このように剣豪は戦って死ぬことで多くの人に役に立っている。まさに武士道とは死ぬことと見つけたりと言ったところか。

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